エッセイⅢ!

ヨーロッパでの私!多感な21~27歳の時期でした!
ヨーロッパでの私!多感な21~27歳の時期でした!

mixi日記アルヒーフ♪

地方に居て私でも思う!

ドイツ文化の寂しい認識度について・・・

~ローカルプレビュー熊本御船地方版♪~

 

私の人生の中で1981年から1988年までドイツ連邦共和国、および西ベルリン(あえて分けてます)での研鑽の時期がありました。その時期は私の年齢、20才代の大半です。

超偉そうな発言をもし、お許しいただければ「今も、若い時期、あの、Deutschlandで多く学び、そして多くの体験した事が財産となって私の血管に脈々と流れています」と、言ってしまいます。

生意気な発言どうもすみません。でも、そう生きて来た過程そのものが現在の私の(良くも悪くも)キャラクターなのです。

ありがたいことに桐朋学園時代やヨーロッパでも音楽家として「横一線枠ハメ教育」ではなくのびのびと私の個性を育ててもらったおかげで生き方の素晴らしい財産を頂いた!

だから私は今でも多くのであった師匠にとても感謝しているのです。

 (今でも小学校の担任の先生が私のリサイタルに来てくださることが何より嬉しい!のです)

だから私は、保守的な地方の義務教育や一般の大学の思想とは

         本当に別物の人間なのですよ。

 

ついでにお笑い話!→「だから私のカラーヘアーも理解して下さい。(笑)

それも私の大事なエンターテーメントなのです。

 オールバック気味の七三分けのテカテカポマードで根元をバリカンで刈り上げた、どこかの○○党総裁(笑)ヘアーモードで舞台になんて恥ずかしくてNein Danke!

政令指定100万以上の都市から2度と演奏依頼が来ません(笑)
 

 さて、本題に戻りましょう!今回の話題、5月というと緑が洪水のように帰って来るドイツの景色を思い出します。とにかく冬の厳しさは並大抵ではなかった。毎日マイナス10℃から20℃の凍りつく寒さ、さらに日の明るい時間はやっと9時に明るくなっても3時半にはもう暗くなる!そんな冬を乗り越えて帰ってくる春の新緑は毎年感激ものでした。たとえばリートの歌詞にもしょっちゅう出て来る単語に“ Mai”という言葉があります。シューマンには「詩人の恋」の1曲目 ブラームスには「五月の夜」etc・・
 そう、5月、今月なのです。5月に恋が芽生えたというハイネの詩にはきっと春に対する憧れと恋心がいかに「心ときめくもの」と私が実感できたのは初めて厳しい冬を乗り越えてやっと来たドイツの春を体験したからなのです。
 今は私が勤務している所の音楽大学の学生の方たちに、ドイツ語の会話はもちろん、ドイツの文化etcについてどう認識しているのかはまったく判りませんが、私はまずドイツとの出会いは、10代の中学生のころにヘッセの小説を読んで感激し(ゲルトルートや車輪の下、知と愛)また、シューベルトやシューマン、ブラームスやR.シュトラウスのLieder(リート→歌曲)をシュライアーやヴンダーリッヒやポップの美声を聴きながら特に桐朋学園の高校生時代に多くの仲間と朝まで(しかもドイツワインのフルーティーさにも感激して・・高校生なのに・・・もう時効でしょう)音楽のことを語り合った青春?を送りました。
 ゲーテやハイネの詩を読んでさらに歌い手のマネをして、ダミ声で歌いながらドイツ語の発音をマネでしてみたり・・そうやってドイツの音楽の誠実でロマンチックな旋律、そして言葉に憧れ、接していた毎日でした。

  考えてみればもし、私が普通の高校生なら私は「黒い制服を着て心をひとつにしてきっと吹奏楽コンクールでの金賞を目差して・・・」そんな生活だったと思いますが、吹奏楽のお好きな方には申し訳ないけれど、(本音を言えば吹奏楽コンクールの課題曲のオーボエパートが未だオプションと書かれているのがつらい!オーボエ吹きの育成が難しいので仕方ないかもしれないけれど)私はそうではない管楽器奏者の成長の道を歩みました。その時間分、ドイツの美しさにも音楽でなく文学や詩からは音楽の表現に影響を受けたことを数多く体験できて幸せだったと思います。
 だって私はオーボエ吹きです!
当然、楽器吹きとして&音楽家としてあこがれるのはオーケストラの交響曲や管弦楽曲や協奏曲やオペラでソロの旋律を吹くことでありバロックやMozartやR.Straussの協奏曲を吹くことであり、バッハの宗教曲の歌(アリア)のオブリガートの旋律を吹くことであり、さらにハルモニア・ムジーク(オーボエ、ホルン、クラリネット、ファゴット、ホルンを中心としたアンサンブルの事、モーツァルトのセレナーデが良く知られています)を吹くことでもありました。

大日本帝国陸軍やナチス親衛隊の精神高揚のような「ぷかぷかドンドン」軍隊行進曲なんてあこがれて管楽器を始めるなんてとはまるで無縁!

だから桐朋学園のオーケストラに憧れ、17歳で東京に飛び出し、さらにドイツへの研鑽を日本の大学卒を捨ててまで選んだのです。(誤解無きようにおねがいします!楽隊を批判しているのではありません。管弦打楽器をそういう存在で決め付ける人種には?と思っているのです)
 

その後のドイツの生活は約6年間と半年!とても刺激一杯でした。現地でのドイツ語はその国で本当の会話に接して学べたので(私は、ほとんど飲み屋で言葉を覚えました。語学学校はもちろん日本の学校で学ぶよりはるかに勉強になった)文法の語尾変化の認識能力だけで私を評価してではなく、むしろ間違いながらものびのびと会話が出来たことが許された外国語の言葉の上達には素晴らしい時間だった。文法のみの語尾変化の評価のみが何事よりも第1のことであるならまず会話は出来なかったと思うのです。

それと家族とクリスチャンの教会と音楽から「愛」広島から「平和」そしてその後西ベルリンで「自由の大切さ」を学べた私だったので、ドイツでの研鑽の時期はもちろん就学の時期にはナチやヒトラーのような忌まわしいナショナリズムの精神!すなわち音楽家から見た「愚かな思想」からの教育的影響は有難くも皆無だった。

そこは今の勤務している音楽大学の学生の皆さんとは、もしかしたらドイツ語の教わり方が大きく違う環境かもしれません!(本当の専門的なドイツ語を私が知っているわけではないし、今勤務先でどういう授業が行われているのか?全く知らないけれど)

本当は彼らにも情熱をもってこう伝えたい!

ドイツ語って限りなく音楽につながった事柄に沢山出会えるのです。

私でさえもそれが音楽の演奏表現の研鑽に大いに役立ったことは沢山今でもあります。はっきり言えば単純に例えばゲーテの「野薔薇」の最初の歌詞を知っただけでも充分!こうやって詩に出会いその言葉を発音し、さらにシューベルト(もちろんウェルナーでも良い!)のメロディーで歌う!これは高等学校の普通の音楽の授業でも存在したことなのです!こういう研鑽が音楽大学なのに専門外と称して逃げられ未だに無いままなのだったり、当然、2009年のベルリンの壁崩壊の話題も皆無!これも悲しい、もっと末期的なのは声楽の学生が(声楽の学生なのに)「ドイツ語は必要の無い外国語」と学内で吠えてるのを聞いてしまったりするのは、ドイツに居てドイツの文化や芸術に感動し、今でもドイツ歌曲のゲーテやハイネ等の歌詩を愛し続け今でも音楽の表現の肥やしとしている私としては、本当に超寂しいコメントを聞いてしまったと思っていますし、そういうコメントしか言えない音大生は悲劇です。何が原因なのでしょうか?

 

急に話題を変えますが、ドイツで学べて今、特に良かったと思えるのはとても不言実行の職人的な精神を学べたことかと思います。本当にマイナス20度の冬の温度は寒かったですよ。それだけ寒い冬を乗り越える生活をしているのだからそういう元広島カープの古葉監督ではないけれど「耐えて勝つ」精神が存在するのかなって思ったりしますが、

そういえばブラームスの歌曲に「新緑の恋」(または「私の恋は新緑のように」)という歌曲があります。この歌詩はフェリックス・シューマン!すなわち大作曲家のロベルト・シューマンの息子の作です。フェリックスは夫亡き後、傷心の母、クララ・シューマンのためにこの詩をつくりシューマン家のための自分の存在をアピールしました。その時、同席したブラームスはその"若き勢い”の青年とはまったく対照的に、終始無言であったそうです。翌日にブラームスはその詩を楽譜にして(歌曲として作曲して)クララに捧げたのです。この深い思いやりに出会ったそのときのクララの喜びようはどうだったでしょう?きっと創造がつくと思います。

 こんなブラームスやそれ以外ではワーグナーの楽劇に登場する Meistersinger! ハンス・ザックスのような・・私はこういうドイツ人的不言実行型音楽職人的人種が本当に大好きです。私たちオーボエ奏者もそういうタイプでやっていくべき人間と思っていますしよく音楽の業界に精通している多くの方からもそう教わりました。 それ以外でも私があこがれる都!京都の女性のような一歩引く奥ゆかしさをいつも大切にし、常に物事を冷静に見ていらっしゃる素晴らしいたしなみのある行動する人を(もちろんこんな表現だけで決めつけるのはあまりにローカルな発想で良くないと思うけれど・・)私は、大好きだし尊敬します。不言実行主義!(ドイツではベルリンの人をよくそう言います)これも大好きですよ。どうかお見知りおきを!
 どうやら教育の場ではそういう職人気質については「古臭い丁稚奉公」の修行に思えるような偏見からか桐朋で勉強している時でも一部の音楽以外の一般の教師はこう言う気質を嫌っていましたが、いわゆる一般の大学の教育思想の方にも好意的には思われない?て、ゆうかまず理解が出来ないでしょう。・・
 

 言わせてもらえば、音楽大学なので教える師はただ、口がお達者だけではとても伝わらないと思うのです!自分で演奏して音を教わる方に伝えなくて・・・・ましてや「横一線枠ハメ教育」での強制指導なんて・・・・外国語だってそうです!文法のみの良し悪しのみで人を評価してるだけでゲーテの詩も教えられなくて何のための音楽大学の○○○語でしょう。そういえば、今まで多くの方々が(もういらっしゃいませんが)保守的な義務教育者をモデルにしそうな立派な教師になるよう訓辞も受けました。ご親切にも「家族を持ち子供も持ってこそ本当の教育が出来る、独身モンは中途半端な人間タイ!」と、迷惑なプライヴァシーに関することの指導まで受けて・・・

そしたら音楽史上偉大なる作曲家の2大B、ベートーヴェンやブラームスはどうなるのだろう?やっぱり中途半端なお人柄なのでしょうか?(笑)

は絶対、思ったことはありません。当然音楽家ですから、ブラームスもベートーヴェンも神様のように持っています

でも私はこういう人間ですし音楽と共に生きている私の人生をそのような愚論の塊の枠の思想に、はめられるつもりはありません。

それに地方都市によくいるような井の中の蛙に私もなるのは絶対いやなのです、狭い地域でたただのお山の大将なんて真っ平ごめん!

 私の近辺の方々には、私の舞台の上でのエンターテーメントを見てるので信じられない方は多いかもしれませんが(本当は目立ちたがり屋と言われるのは心外なのです)

 本当に私は、そんな鍬型兜「おれがおれが(どこかの国の方言で言えば、おっがおっが、かも)1番!」人種が大嫌いなのです。 

 2008年5月 mixiの日記より

 

 

ベルリンの生活については“2009年はベルリンの壁が崩れて20年”もご覧になっていただければ幸いです

広島県民文化センターホールは本当に私の茶髪が良く似合う(笑)
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広島市&ドイツ連邦共和国ハノーファー市姉妹都市提携コンサート!ドイツ語のMCもしています
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ハノーファー市長、ヴァイル氏と、2008年5月 広島で
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微力ですが 次世代のヒロシマの人間として・・・・演奏を通して平和の大切さを世界の皆様に伝承出来ればと思っています